2025年10月14日に、岐阜県大野郡白川村御母衣にある「旧遠山家住宅」を訪ねた記録です。
元々白川郷を目指す予定が、宿泊したペンションからナビで指示されたルートを走っていたら、こちらに遭遇したという流れでした。
夫婦滝
こちらは、前日にペンションに向かう途中で遭遇した夫婦滝です。











御母衣電源神社~御母衣ダム
道路際に猿を見かけて、この辺りではかなりの数を見つけたので立ち寄りましたが、すぐにいなくなってしまいました。







奥に見えるのがダム湖です。



御母衣湖は日本三大ダムの一つで、日本初のロックフィル式ダムです。




旧遠山家住宅
ペンションの方に、「下道を通るとありますよ」とは聞いていたものの、実物を見ると圧倒されます。

道向いの御母衣白山神社です。こちらは後から伺います。



小屋でしょうか。母屋に比べると、頭でっかちに見えますが、それでも長い年月を通して建ってるのですから、かなり丈夫なんでしょう。



下からのぞいたところです。軒が深いです。

わかりづらいですが、保護色のカマキリがいます。死んでいるのかと思っていたら、ちゃんと生きていました。



最初は、味噌か醤油の樽なのかと思いました。



なんとヘンチ(便所)でした。




家を守る大事な軒と縁側です。こうやって物干しもできますし、近所の方との雑談もできるし、便利です。




下からのぞいたところです。少し前の写真より軒が深さが際立ちます。



白川村の「大家族」制について紹介してあります。なんでも多いときはここに50名以上の方が住んでたいたそうです。













10分前後、この遠山家の歴史などを学びました。

近くの立派な神棚です。榊は本物ではなさそうでした(昔は本物だったでしょう)。


立派な仏壇です。朝夕、住んでるみなさんが集まって祈っていたそうです。

わかりづらいかもしれませんが、真ん中右辺りにミニ畳が見えますが、冬場の暖を取るためのアレを置く場所と思われます。



「嘉永七年 甲寅夏造 大工高山 中巴彌共衛」という文字が見えます。
これは、嘉永七年(1854年・干支が甲寅)の夏の時期に、高山地方の大工「中巴彌共衛」という方が、何らかの形で携わったことを示しているようです。わざわざ夏と書いていることから、修繕的なことかなと思います。









囲炉裏の上にある丈夫な木材で、燻されたり、熱で真っ黒になっていましたが、触っても手は黒くなりませんでした。











この辺りは最近リフォームしたようです。





浴槽は五右衛門風呂のような鉄製に見えました。



大家族の頃は、お風呂から上がった人は拍子木を鳴らして、次の人に知らせたそうです。





ここからは二階です。














左手に見える障子窓は、多少の雨風でも閉めることはないそうです。なのに、建物の中にそこまで痛みが発生していないのは、やはり軒の深さか。

雪が降ったら、この小屋も埋もれるくらいの高さで積もるそうです。




稲穂を取る機械です。現代は刈り取りから脱穀まで自動でしてくれるコンバインがありますが、手作業は時間はかかるものの、眼の前できっちり稲穂をこき落とせるため、その回収率は高いと思います。







「熊狩槍」です。鹿児島では熊と遭遇することがないので、後で受付の方に訪ねたら、この辺りは熊がたまに現れるそうです。


「立ちつぶら」という、乳児が足が立つ頃に入れる「つぶら」とのこと。

冬に活躍する「炭取」です。




二階からのぞいた外です。

一階に降りました。

水瓶です。昔の牛を飼ってた頃の、貴重な写真も掲示してあります。



外にあった蜂の巣をこちらに持ってきたそうです。

御母衣白山神社
道向いの御母衣白山神社です。

石段はかなり急でした。


登りきった後は、かなり息が切れました。


かなりでかい石でした。元々近くにあったのか、持ってきたのか。何らかの意味があるんでしょうか。

本殿の下部です。

でかい杉の木で、胴回り2mはあるようです。

本殿とこの石段との間は広くなく、過去にここから転げた人は絶対いただろうなと思わせる感じでした。



遠山家・田中家墓地
神社から降りて、道路から見て旧遠山家住宅から左手にお墓がありました。



