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映画「ブッシュマン」に見る「文明の利器」の弊害

映画本編を最後に観たのは2004年だったので、改めてあらすじを「ミラクル・ワールド ブッシュマン」で読むと、前半部分しか明確に記憶していないことに気づきました。

またいつか全体をきちんと観てみたいと思います。

さて、今回伝えたかった大きなテーマとしては、「文明の利器」の弊害です。

これはここ数年、いわゆる先進国と言われてる我々日本も含めた国々で使われている「便利なもの」とは「行き過ぎた文明の利器」になっているのではないか?と感じており、20年以上前に観た映画「ブッシュマン」を思い出したのです。

ネタバレ注意です。

物語は、平和に暮らしていた(石油製品や化学物質に電化製品を使っていない)とあるアフリカの村に、飛行機の上から誰かがぽいと落としたコカ・コーラの空き瓶から始まります(確か)。

その空き瓶という存在を知らなかった村人たちは、これはなんだろうと考えます。

でもわかりません。

硬いものということはわかり、それが物を叩いて柔らかくしたり、釘的なものを打つことに使えることに気づきます。

すごく便利!これは天の神様からのプレゼントだ!

みんながこの空き瓶に夢中になります。

・・・なのに一つしかありません。

そのため、この空き瓶を巡って、争いが始まります。

「便利だけど、争いが始めるようでは困る。元々この文明の利器が無くても、何の問題もなかったのに」

そこで主人公のカイさんは、この村に厄介な揉め事を引き起こした「空き瓶」を遠い果てまで捨てに行くことに。

その遠い果ての、文明の発達した先進国で一悶着起きる


・・・というところまでしか記憶していませんでした。

言いたかったのは、平和に暮らしていたとある村に、「文明の利器」(我々からしたらただの空き瓶)一つが舞い込んだことから争いが始まったということです。実はこれ、今までの人間の歴史で、同じようなことが繰り返されてきたのではないかと。

「すごい文明の利器を作れたぞ!これで皆が幸せになれる」とまではいかないにしても、「皆の苦労がなくなるぞ!」などと考えた文明の利器(例えばエアコンとかエアコンとかエアコンとか)。

この文明の利器を開発したまではいいのですが、その後のフォローがされていないのが、先進国の罪だと思っています

PDCAサイクルというのがありまして、この画像は「株式会社ディアイスクエア様」から借用させて頂きましたが

  • PLAN
  • DO
  • CHECK
  • ACTION


のことですが、この中でCHECKが抜けまくっていて、当然ながらその後のACTIONも起きません。PLANとDOのみです。

様々な弊害が起きているのに、ほとんどの人はそのことに気づいていないと思っています。これは先進国の罪でもあり、変えることが困難な状態になっているとも思っているので、それなら過度な文明の利器に頼ることをやめてみるほうがいいのでは?と。

一例を上げると、原子力発電所とか太陽光発電のメガソーラーとか。

これらは必ずやるという結論ありきで進められた国策であり、その後のCHECKやACTIONはわざとしなかったのはではないか?と思えるくらいです。

そこから江戸時代などの、石油製品や化学物質に電化製品を使っていない、シックハウス症候群もホルムアルデヒド過敏症も電磁波アレルギーもなかった、土と木を中心に作った家を参考に、自分でも家を作ってみたいと思うようになりました。

日本を含めたいわゆる先進国は、色んなことが「対症療法」になっており、前述のCHECKが抜けています

そんな文明の利器の弊害について、これから発信していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

ちなみに現代で、いわゆる原住民や先住民という存在とは別に、これらの過度な文明の利器に頼らないで暮らしている人たちもいます。

アーミッシュの方々です。しかもアメリカ合衆国です。

詳しくは、「アーミッシュの暮らし Down to Earth アーミッシュ文化体験記」を。